千年戦争アイギスでのプレイヤーは「王子」ということで
史実上での「王子」とはどんな人生なん?を焦点に人物を紹介していきたいと思います。
第三回は、オランダ王国の
ヨハン王子(1968-2013)です。
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この人物は、オランダ王国の王子でした。後に王子の資格を失い、事故死しています。
オランダと言う国のある地域は元来では神聖ローマ帝国の時代から
海上貿易の都市として栄えてきたようです。
15世紀末にスペインのハプスブルグ家の支配下でしたがキリスト教のカトリックを
強制することにこの地方のカルヴァン派が反発。
スペイン宗主国に対してネーデルランド北部地方でのオランダ独立戦争に至ります。
この戦争はベルギーやルクセンブルクも参加(途中脱落)して80年続いた後に
独立を承認され、
ネーデルラント連邦共和国が成立。
17世紀初頭の大航海時代にオランダ海上帝国を築いて黄金時代を迎えました。
日本にとっても馴染みと因縁もある国で、江戸時代には
唯一の外交関係を維持した外国となり
第二次世界大戦では植民地支配をしていたインドネシアを日本軍が占領。
日本降伏後もオランダは再度の植民地支配を主張したのですが、日本軍が調練した軍人による
独立運動と抵抗の結果、オランダの海外領土の維持を終焉させることにもなっています。
そのオランダの王国の歴史は1815年に生まれたウィレム1世あたりから始まっており、
この方は商人王と呼ばれ、次のウィレム2世は1844年アヘン戦争後の江戸幕府に開国を迫って拒否されています。
ウィレム3世の時代にはここまでルクセンブルク大公も務めて来たのですが、これを失い
女王ウィルヘミナの時代へ。
彼女の治世で2度の世界大戦を経験し、ドイツ軍の侵攻によりイギリスに亡命して亡命政府を維持。戦後にオランダに復帰して王位を守り続け、インドネシア独立の年で1948年に戴冠50周年を機として王位を娘に譲っています
王女ユリアナの時代はドイツの占領などにより国土が荒廃し、インドネシア独立にもみられるように植民地支配も崩壊したため、本国の建て直しに力を尽くさざるを得なかったようです。
さらに女王が3代続いてベアトリクス女王の時代。ドイツ人外交官と結婚。
この頃になるとインドネシアを失うきっかけとなった日本との関係も修復されていきます。
「適応障害」について理解のある女王ということで日本の皇族(皇太子様雅子様ら)の
長期静養を受け入れるという出来事もありました。
ベアトリクス王女も2013年に王位を譲り、116年ぶりに男児となった
ウィレム=アレクサンダー王の時代となります。
この王の弟がヨハン王子です。
全名はヨハン・フリーゾ・ベルンハルト・クリスティアン・ダヴィッド・ファン・オラニエ=ナッサウ・ファン・アムスベルク。長いですね!
王子は2003年に人権保護団体で活動するメイベル・ウィサスミットと婚約。
しかしこの女性は過去に問題のあったとされる人物だったため、国内では婚約破棄か
王位継承権を捨てるかなど紛糾。結局は国からどちらも認められず、自ら王位を捨てること、
身分は王族に留まることで決着という形となりました。2004年に結婚。ロンドンに転居。
もともと学者肌だったこともあり、王位を捨てた王族として大過なく過ごしていたものの
2012年の冬、オーストリアのスキー場で、雪崩警報が出ている中を強行して雪崩に遭遇。
救出されたものの長期の低体温症状によって危篤状態が続き、治療のかいなく
2013年8月12日、意識不明のまま、
ハーグにあるハウステンボス宮殿で死去。
享年44歳となりました。
こうしてヨハン元王子を題材にしつつも、オランダ国の王族の歴史を見ていくと
国境が陸つながりであらゆる人種や民族や宗教の影響も留めようがない土地ということも
あるせいか、王族の人生や結婚も波乱万丈、常に批判の対象となり、
適応するのに大変苦労することが伺えました。
なにやっても正解じゃない王族の人生。難しいと思います。
ちなみにオランダはこの場所です。日本から見ればよくぞこの場所からアフリカ・南アメリカ・アジアの一部を支配できたものだと関心してしまいますが・・・
日本のメーカーとかの海外での勢力を考えてみれば、地図にできないだけで
不思議なことではないのかもしれません。
日本も経済的にも地図上の地域だけの存在に・・・いつかはなる(かも?)と思うと
何十年後かはわかりませんが、怖いような、なる理由がないなら聞いてみたいような。
・・・・というわけでだいぶ王子の話じゃない内容ばかりでしたが、今日の王子でした!
千年のほうの王子たちも、地元の出す警報には素直になりましょう!